最近好きな歌のことを書きます。と半年前の私が書き残していたのでそのままアップロードします。最近の私は少し前にSNSで見かけた「その月ごとのプレイリストを作る」というのを素直に取り入れて月ごとのプレイリストを作ってるいるのだけど、月が変わったことに気づかないので今はまだ7月のプレイリストを更新し、聴いています。
「まるつけ」センチミリメンタル
美化も悲観も絶対視もしていない、不安定さが誠実な、恋愛を前提としたパートナーシップの歌だなあと思って最近よく聴いています。
想うことが産む弱さを描くことが、激情を伴わないというか。ただ「そうだよね」と思う。そういうものだということは引き受けて、ふたりで上手くやれることに希望を持つ、というのが私の価値観からしてかなり「地に足がついている」というかんじ……聴きやすいし愛おしい気持ちになります。
あとこういうピアノが大好き。
「いまは僕の目を見て」Base Ball Bear
言葉に全能を見出すわけではないけど言葉を諦めたくなくて、言葉を諦めたくないから言葉を諦めて非言語コミュニケーションに全能を夢見るような言説が大嫌いで、そういう言説への逆恨みで音楽とセックスのことが嫌いじゃないのに大嫌いなんですけど(前置き)
そういう私にとってこの歌の「僕」の葛藤はものすごくいじらしいな、と感じられたし、「コミュニケーション」への愛情を感じて、なんだかとても良い。こぼれてしまうから隣に座ってみて、自分の心を裸で伝えることが怖くて、間違えないことばかり考えて多弁になって、でもそういう不自由があるから触れ合える歓びがあるのだとわかっている人の「いまは僕の目を見て」、とても説得力があると思います。
たったひとことずつなのに人間性が滲むBメロの「君」の台詞も素敵で、この歌を聴いた人の心に焼き付く「君」の像は「ほほう」とか「食べ物が美味しいじゃん」とか言う子であることで、「言葉」なのだなあ。というのが、いいよな……「僕」の方は僕の目を見てと言っている割に、という感じで。
言葉が全能だとは思わないけど諦めたくない、というよりは、「コミュニケーションに全能なんてありえないけど、ありえない中でも成立する交歓が愛おしい(ありえないからこそ、というよりは、ただ、そんな中でも交歓がありうるということが、それそのもののことがかけがえがなく嬉しい)」ということを、その自覚を、私は愛しているのかもしれないな、言語とか非言語とかじゃないのかも。書いてみると当たり前だ。
「好きだ!!!」≠ME
「香水お揃いにしよう?」「いいよー!」←そんなコーレスある?
アイドルに真剣ではないアイドル音楽ラバーなので(?)もう全部こういうのでいい。と思っている。さすがに言いすぎました。
私は大好きを振り撒くきらきらした女の子の全能感と軽やかさ、みたいな明るいアイドルソングが大好きなので、大好き。魔法使いの代打は私~!←このパートがきらりちゃんなのもよすぎる、アイドルに真剣ではないのでパフォーマンスの印象でしかないんだけど、落合希来里さんってそういうものの象徴じゃないですか?
以上!