GYROAXIA LIVE TOUR 2023 KICK-STARTを終えて、私とMANIFESTOの話

※これは私のために書いた私の日記と思い出と感傷であり、ツアーの感想ではありません。

 

そんなの関係なくもう大好きだからあえて必要ないだろうとあまり直視しないようにしていた感傷があるのだけど、ここは私の城だしいいかなということで、普段しない思い出話をしてみる。

 

多かれ少なかれみんなそうなのだと思うけど、あるいはきっと他にそういう曲があるのだと思うけど、他の曲と比べた時、MANIFESTOだけは思い入れの質が全く違っている。この曲の思い出にだけは、GYROAXIAを、那由多くんを、知らなかった私がいるからだ。

2019年の秋、はじめてこの曲を聴いた時に、この人は誰だろう、と現実味がなかったことを覚えている。知らないキャラクターを背負って、知らない声で知らない歌い方をしている(※当時の小笠原さんの歌唱のある役はほぼ王子様だったのである)のが、ほとんどこの世で初めての、人間の声が小笠原さんのものしか含まれていない表に出た音源だったような記憶。ソロキャラソンすらなかったのに全部俺!なの笑ってしまったな……。まあ、だから、何もピンときていないのに、ぼけっとしたままずーっと聴いていた。私の人生の中でもかなり変な感じの時期だった気がする。

なおこの数ヶ月後に、本人に対し、知らん声でびっくりしたけど那由多くんの歌もすごく好きみたいなことを私は面と向かって言い放ったのだけど、正直すぎると思う。ただ、その時には少なくとも那由多くんの歌は好きだったんだなあ、ということを、己の失礼を思い出すことにより思い出せるので、言っといてよかったなと思う(壁打ちメモみたいな役立て方をするんじゃない)。

こんなこと(ナビステの感想などを読もう)になっている今にして思えば笑い話なんだけど、好きな役者がこの会社のリアルバンドのコンテンツでボーカルになってしまった、ということに対して、当時はわくわくすると同時にかなり思い詰めていた。彼の仕事に割けるリソースの中でも相当な分量をこのコンテンツに持っていかれること、世間の人はそのうち彼を「GYROAXIAのボーカル」というイメージを通して見るようになるだろうこと(声優オタク私、当時そういうのが本当に嫌だった、というか、私は彼がそれを覚悟してオーディションを受けたならよいと思っていたけど、そういうのをバカにしたり過度に悲観したがる声優オタクがいることを知っていたので、それが嫌だった)、はまれてもはまれなくても私のオタク生活のリソースも否応なくここに割かざるをえなくなること、それらに耐えられないならもうこの人を観察することを諦めた方がいいのだろう……ということをぐるぐる考えて、結局やってやらあ!となったわけなんだけど、しかし今思うとほんとに無駄な覚悟だったな。若い私に笑われてしまう。若い私へ、普通にはまってるよ……。

2019年の冬、シークレットゲストでバンドのお披露目となったArgonavisのライブを、出るだろうなと目論見をつけて見に行った。TDCホールの第2バルコニーに入って、入って始まってから私はバンドのライブ、というか、音楽を楽しむことを主目的にしたライブ(キャラソンコンテンツやアイドルではなく)に行くのが初めてだと気が付いた。これは別の話だけれど、だから、私の音楽の親のひとつはArgonavisさんであり、伊藤昌弘さんなので、感謝しています。閑話休題

細かいことは思い出せないのだけど、ステージに出てきたGYROAXIAを見て、小笠原さんをこんなに遠くから見られるなんてということに驚いていた。遠くで見るためには遠くにも席があるような場所に立ってもらわないといけないのだから、近くで見るより遠くで見ることの方が難しいのである……

隣の席がオレンジのキンブレを持ったお姉さんだったんだけど、私と同じくらい5人の姿に感極まって興奮してくれていて大変心強かったし、あの時のArgonavisのライブはレギュレーションが一般女性向けコンテンツと同じくらい厳しかった気がするんだけど(ペンライト肩までみたいな)なんか割と……会場全体が無法地帯となっていて、よいことではないのだが、でもここにいるひとたちは新しい歌を好きになって、コンテンツのこれからに期待して、こんなに盛りあがっているんだなあ、と思うとあまりにも正の方向のエネルギーに溢れていて感動した。こんなにいいお披露目ってないよ。

で、これはいつもしてる話だけど、そこでライブをする旭那由多さんというのを目の当たりにして、旭那由多さんが観客に優しい(?)ことに驚いた。そもそも小笠原さんが歌唱しながらのパフォーマンスがあんなにできることも知らんかったので、その時点で驚いたんだけども、その内容にさらに驚いた、那由多くんはてっきり観客のことなんか知らねー黙って歌を聴いていればいいみたいな感じかと思ったら、大きな声で、「もう縛られんな、こっからは好きに騒げ」などと叫んでくれるのである。そんな……ご慈悲を!?と動揺した(?)。自分の音楽を好きでついてきてる人のことが見えていて、その人達を受け止めライブに己を解放できる居場所を作り、そして先導する人なのだなあ、という那由多くんの像が、この時から私の中で結ばれ始めたように思う。

依然として那由多くんのことはよくわからないが(このよくわからなさは、ダブエスが終わる直前くらいまで引き摺っていたように思う)、よくわからないまま少しは気持ちが上向いた日だった。ちなみに私が礼音くんを(というかGYROAXIAを)好きになるのはこの約1年後、積読していた目醒めの王者を読んだ時なのだけど、会場でボイドラを聴いた時にこの5人の中なら礼音くんが好きかもなあ、お芝居と声が綺麗だなあ……と思っていたので、嗅覚がすごい。

そしてその後、きちんと出演者として告知されてTDCホールに立つGYROAXIAさんを見ることと、再びコールができるMANIFESTOをライブで見ることが、目標というほどではない、ただその日が来たらきっと記念碑になるだろうな、というものになった。その気持ちはGYROAXIAをちゃんと好きになるにつれてさらに大きくなるものだったけど、仮にすごく好きにならなかったとしても、きっと何かを思うし、私はその場所にいるんだろうな、と思っていた。

MANIFESTOってそういう、GYROAXIAを特別好きなわけじゃないけど小笠原さんのことが好きだった私がぐるぐると情報と感情に翻弄されていた日々に一緒にいた曲だった。ていうか元凶だった。だから他の曲とは全然違う。全然違うのに、物語を通してGYROAXIAを好きになるにつれて、GYROAXIAの曲として、旭那由多さんの言葉として、どんどんかけがえがなくなっていくんだよね。他の曲と同じになっていくし、「GYROAXIAを好きな私」にとっての、GYROAXIAの中での特別になっていく。でも昔の感傷も残っている、色々なものがぶつかり合っている曲になった。

ダブエス展のコメント動画で小笠原さんが言っていた、「那由多は王者なのではなく王者たろうとしている、暴君なのではなく暴君のように振舞っている」みたいなニュアンスの話(王者・暴君なわけではなく、振舞いをそのようにしようとしている、という内容)が印象深くて、以来那由多くんの紡ぐkingという言葉にも色々なことを考えるようになった。考えた上で、那由多くんのその言葉が、絶対的な宣言であり、指向性のある誓いでもあるその言葉が、より好きになった。kingとか運命とか(私は五稜結人さんと旭那由多さんと兄弟たちの運命論フェチです)のキーワードが散りばめられたザ・キャラクターコンテンツのバンドの代表曲!という感じの過剰さが、だからこそ時を重ねて彼らを知るにつれ大切になった。パフォーマンスの派手さやコロコロ表情を変えるところも好みだし、言葉遊びも那由多くんらしくて、歌詞の自信満々さがまさしく宣戦布告で勇気づけられて、何度でも原点を思い出せて、そして礼音くんの見せ場もあって嬉しい。今では全然、そういうものの方が大きいから、正直普段は昔の私の感傷などほぼ忘れている。

思い出したのは、再びコールができるMANIFESTOをようやく見られたから。私はブシロックに行かなかったので、ツアーの初日が久しぶりのそれだった。TDCホールは去年行って、その時も色々思い出していたけれど(お披露目の時は真っ赤だった会場がみんなのメンカラでカラフルになっているのが、感慨深かった)

初日、幸いにも席がよくて(私のeplusのアカウントって生きてたんだ……という感動と安心がかなりあった)ど真ん中のよく見えるところだったのだけど、絶対MANIFESTOはやるだろうと思っていたし、那由多くんがこの曲で声出せるの久しぶりだのなんだの喋ってる時点で絶対にMANIFESTOだとわかったからこんなところで見てしまうのかと気が気ではなかった。気が気ではない中礼音くんが呼ばれて真ん中に躍り出てきて、堂々とイントロを弾いている、そのすぐ後ろに涼さんと賢汰さんがいて、ステージの真ん中のドラムセットにいる深幸さんの下で那由多くんが悠然と立っている、4人に任せたとでも言いたげにいい意味で力の抜けた様子でただ立って聴いて待っている那由多くんが竿の3人の隙間から見えて、その光景があんまり綺麗でかっこよかったので、時間が止まったかと思ったし、あ、これが答え合わせなんだ、と思った。私のこの3年半の答え合わせ……

お披露目の時に、真一さんが、緊張してたけどステージで仁の那由多の背中を見て大丈夫だと思った、というようなエピソードがあったはずなんだけど(出典当たれず、すみません)、私はその話が大好きで、その、同じ曲で、竿隊が前に出て、あの礼音くんが真ん中のお立ち台に那由多に言われて立って、那由多はなんもしないで後ろで見てる!!というのが、あまりにも衝撃で、でも、本当に嬉しかった。知らんコンテンツのAGFのステージに急に呼ばれてる時から見てきた小笠原さんを好きな私の勝手な感傷が実を結ぶ場所で、そういうの全然関係なく、ただGYROAXIAを好きな私にとって、あの日心を惹かれた礼音くんを好きになった私にとって、とても嬉しくて喜ばしくて新しくてきらきらしたものを見ることができて、それしか言えないけどすごくすごく嬉しかった。こんな場所に来れるなんて、と思ったし、でもこんな、満たされる景色を見ても全然ゴールした気にもならずこれからもずっと見ていたいと当たり前に思う人達を好きになれて、幸せだなと思う。

イントロでおかしくなってしまったのでその後ずっと泣いてたし記憶ないしでも楽しいから完全にめちゃくちゃだったけど、本当に、思い出深いライブで思い出深い1曲になった。全てが完璧に収束した。そんな気分。これからも、続くけど……。それまでで1番遠くで見ていたあの日の答え合わせができた日に、それまでで1番近くで見ていたのも変な話だった。意外と運命力が強いのかもしれないと自分に対して思った。

 

GYROAXIAはともかく、那由多くんのことを大好きになるまでには年単位のかなりの時間を要したのだけど、大好きになれて、素敵な景色を見ることができて、強くなったあなたと一緒に夏を楽しめて、本当に嬉しいです。那由多くんの話やGYROAXIAの好きなところの話、リアルバンドのパフォーマンスに思ってきたことの話などなどをすると長くなりそうだったので間を端折って私の感傷だけ記録しておいたけど、その話もまたできたらいいな。