「εpsilonΦ LIVE 2024 - Overlord -」に行ってきた

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行ってきました。パソコンで仕事をしているせいなのか何なのかスマホで文章を書けなくなってしまったのでリハビリを試みてスマホで書いています。

昨日は私自身もとある本番があり、でもどうしてもεpsilonφさんのことが見たくて、上半身はコテコテのステージメイクと衣装のまま、打ち上げを途中抜けして少し遅刻してソニックシティにたどり着きました。(近くの席の方申し訳なかったです)

そもそもこの日は他にも行こうか迷ったイベントを諦めていて、大宮に向かう上野東京ラインに乗りながらまったく私の人生だな……という気持ちになりました。私自身の生活や活動と友達、魅力的で興味をひかれるエンタメ、好きな人。(※「推し」という言葉を見ると「『推す』ことを対象への態度の軸としたことはないし、その言葉を対象の代名詞とすることは私にとって正確ではないのだが?」という厄介な気持ちになるので、様々な言い換えを検討していて、「好きな人」はそのひとつです)諦めたものに後ろ髪を引かれながら前の用事を途中で抜けて後ろの用事に遅刻しているの、欲深さに対する物理的な限界を見た気がする。

それでも、ひとまず昨日のところは欲深くなってよかったなあというのが素直な感想です。εpsilonφさんはダブエスの頃のストーリーが読み切れてなくて情報が抜けてしまってるんだけど、その上で感じたことを。

私は5バンドの中でεpsilonφさんの歌詞が最もわからなくて、歌詞がわからないためストーリーはともかくとして音楽やバンドの部分について他のこともよくわかってない、みたいな状態だったのですが、昨日ようやく「え、本当にめちゃくちゃで狂ってるな!?」ということがわかりました。(今更?)

音源からしてそうなので多分これまでも同じ演出だったかもしれないんだけど(思い出せない)、オルトロスの2番で歌う遥に絡みつく奏と、その横でパフォーマンス的な笑い方というより、ただ見て面白がってる様子で耳に残る嫌な高笑いをして、半笑いのまま自分のパートに入っていく紫夕くんをみて、その一瞬だけ全然違う世界に迷い込んでしまったみたいだった。その一瞬だけ演劇の世界にのみこまれたような、それと同時に彼らにとっての毒々しい生々しい露出すべきでない舞台裏のリアルでもあって。こんな狂騒を人前で繰り広げてるなら確かに、とても狂ってるんだな、と、単独ライブという場で世界観に没入してようやく理解することができました。わかってたんだけど、身体的にぴんときてなかったので、現地に行ってよかったなあと思った次第。

紫夕くんのすごいところは、承認欲求に雁字搦めになってそれでも強がってる人が、自分のそういうところを隠さず曲にできてしまうところだなと思います。遥くんもだが……。ぐちゃぐちゃなところ、悲痛な叫び、を容赦なくむき出しの歌にして露悪的ともとれるようなパフォーマンスをするけど、そうやって剥き出しにして作品の価値として供してしまうのを、他人のことだけでなく自分の心の弱いところ柔らかいところに対してすらできてしまうのだ、その冷徹すぎる気がする割り切りを作品作りにあたってできてしまう、それが彼の超越性のひとつの源であると理解しています。レゾンデートルの真に衝撃的なところは、その内容そのものでも曲調でもなく「それを歌にできてしまうこと」だと思う。もちろんそれは心からの慟哭でありながら、それを一旦材料にもできてしまうような、そういうところが紫夕くんにはあるような気がしています。あんな気持ちを抱えたあんな性格の人がそのまま見せたいわけがない部分を、それすらも出せてしまうこと……。生々しく剥き出しにすることを、計算高くメタの視点を持って、でもやはり生々しくやる、その対象は自他の区別なくεpsilonφであるならば、という感じが、すごいな~とスタッフさんの誰かが好きらしいオルトロス→光の悪魔→レゾンデートルを見ながら思っていた。

ライブ中の遥くんの慟哭や、紫夕くんの悦に浸った高笑いやすすり泣きって、どういう性質のものなんだろう。パフォーマンスでもなく、自然とそうなるものでもなく、個人的には「そういう激情を見せるために感情をコントロールして、本心からのそれらを見せつけている」という感じがして、自分達のリアルとして確かに存在している激情をそれを自分達の特色とするためステージ上でわざわざ呼び出して本気でのたうち回る、みたいな、なんて身を削ったショーなんだ……と思う。それをライブの度にやってるなら悪趣味すぎる。何かそう感じた根拠があるかというと特にないので全然違うのかもしれないけど。

イプシって中高生ファンが多いという設定だったと思うんだけど、それは単に同年代だからとかネット音楽的な文脈だけでなくて、承認欲求、愛されたい、厭世、執着、焦り……みたいな、若いほど上手くコントロールできなくて振り回されるあれこれが、あまりにも生々しいからだよなあと思う。つまりそれは、まあ同年代だからということなんだけど。

昨日のライブを見ていたら、最近マガツノートという作品のライブに行くようになって時折拝見しているV系のバンドの皆さんの音楽を思い出した。表向きの清潔な大人の社会では正しいとはされない汚さや苦しさや足掻きや諦めやちょっとおかしいところを、肯定してくれる場所というか。V系の方達のライブを見てると、ファントムみたいな世界観!ていうのもそうだけど、それ以上に思想のそういう癖みたいなものをすごく感じていて、もしかしたら偏った面しか見ていないのかもしれないけど。イプシもそういう面があるよな?と思いました。本当の同年代の意見を聞いてみたいね……。

あと楽器隊それぞれにかっちり立ち位置を与えられた遊ぶ余地のないセットがとても真っ正直な感じがして、音もまさにそういう感じで、ライブとしてとてもかっこよかったです。その中での紫夕くんと双子の演出の映えること……。これはフウライの時も思ったけど、1stライブはどうしてもそのバンドの概念そのものをドカン!という感じになるので、2回目以降の「今回ならではの色」とか変化や遊びも早く見てみたいな~という次第です。とっても楽しかった!また遊びに行きたいです。