「ARGONAVIS the Live Stage2」感想

の東京公演を見てきました!

argo-ls.com

特にプレゼンとかではなく概ね時系列で記録を兼ねて思ったことを書いていくので、見た人がだよね~!て思ったり、見てないけど作品好きな人が何かの参考(?)にしていただけたら幸いです。

全体的な感想

好きなバンドがストーリーの主役の舞台、それも大好きな原作で、期待をして行ったけど、それ以上に楽しかった!

なんというか、いい舞台だなと思いました。そういう思考の概念、好き!と、そういう舞台の演出、脚本、好き!がたくさんあって……かなり文脈を把握してること前提って感じの作りで、原作とキャラを知らないと汲み取りきれない部分はあれど、そうでなければみんなに勧めたい群像劇(ARGONAVISって大体いつもそう)

音響が不安だったけど、私の貧弱な耳ではストレスを感じるようなこともなく見られました。ありがとうございました。

構成について

前回のナビステ同様、ライブの中に過去の回想が入れ子になっている感じの構成。

GYROAXIAがメジャーデビューをライブで報告するところから始まり、それに際して摩周から「覚悟」について問われたメンバー達が、結成直後の時期(=目醒めの王者)を振り返りながら、それぞれの覚悟を語ります。涼ちん以外……そもそも原作が目醒めなのでそれはそうなんだけど怖いな、改めて。間に関連する同じ時期のArgonavisのエピソードが挟まって、これはCYANのワンマンの前後かな。

ジャイロは現在のライブシーン・現在の舞台裏・目醒めの回想を行ったり来たりするので、1回目は追いつかなくて頭が割れるかと思ったけど、目醒めの話を知ってるのと、現在軸のライブシーンはほぼミニアルバムの曲なので、全然理解はできる。回想と現在を言葉や場面で繋いでいく時のみせ方も綺麗で、舞台だな~(浅い感想)と思っていた。深幸のところが本当に好き。後述します。

BGMを役者が演奏するスタイルも健在だったけど前回よりは控えめかな?竿は少なかった記憶。

ビジュアルについて

CYAN衣装×全員ハイトーンのArgonavisさん、ふわふわパステルカラーでかわいい!!

メンカラ衣装メンカラ頭(メンカラ頭?)でカラフルでかわいいArgonavisと、全員揃いの赤黒衣装で重厚感のあるGYROAXIA、お話の中で描かれる集団としての性質の違いみたいなものが見た目にそのまま出ていて、よかったな~~GYROAXIAのあの衣装もキャラのイラスト出た時から大好きなんだけど、ある種の抑圧感、強さと重さ、そして全員揃いなところが、とてもGYROAXIA的だなと思います。

ビジュアル撮影時の小笠原さんの髪色と真野さんの髪の長さを見てどうなるのかな~と思っていたけど、小笠原さんの髪色はめちゃくちゃ綺麗な白になっていたし真野さんの髪は美園らしく伸びていた。秋谷さんのメッシュ以外みんな地毛で、そんな寄せなくても私は問題を感じませんが、それはそれとして今までで1番綺麗な白髪の小笠原さんにはかなりぐっときた。今までは青と紫(だっけ?)でシルバーにしてたけど今回はピンクを入れたとか言ってた気がする、初日に。

内容について

出会い編

1番楽しみにして1番恐れていた冒頭……!

というのも、絶対に見たかったけど、里塚に自我を芽生えさせた原石の那由多くんの存在が、私にとってあまりにも神聖だったから、成人男性のからだがそれを演じるのを見るのが怖かったんだよね……(典型的な原作厨厄介オタクすぎてこれを言うたびに自己嫌悪で胃が痛い)(そもそも那由多より前にその成人男性が好きだったくせに)それは半ば冗談にしてもこのシーンが微妙だったら、がっかりしてしまうんだろうな、と思っていたので。

結論から言うとめちゃくちゃよかった〜!!里塚さんの激情が、これくらいのものであろうというスケール的なイメージ(?)は全然あったのだけど、じゃあそれが具体的にどういう感情表現に、言葉になるか、みたいなのは、これは役者さんが舞台上で演じるのを見ないと立体的に見えてこない部分だったな、と感嘆した。これくらい狂ってると思ってたはずだけど、原作読んで思った10倍くらい感情だったな、みたいな、矛盾……。自分のこれまでを「間違い」だと断言してしまう盲目さと若さと惨さ、音になると何倍も痛むなあ、とか(里塚自身は、運命に出会ったことが全てで、痛んでないと思うけど)。

印象的だったのは、那由多が意外と柔らかい、じゃないけど、言葉を揃えるなら結構感情的というか、表に色々出るんだなということだった。里塚に(橋本さんのアプローチに)世界観を合わせてるみたいな気もするし、荒削りの高校生の脆さかなあという気も、する。見比べられてないんだけど、前回のステとも脱退(解散?追放?)シーンの雰囲気が結構違くなかったかな……。全体的に人間っぽかったという印象でした。那由多のことをそう捉えるに足る情報が揃ってきたとも言えるのかな。それでいて最近ライブで見ていた那由多くんって開き直ったつよつよの姿という感じだったので、不安定な感じには懐かしさもありました。

ライブパートのREVOLUTIONの「なあ そうだろ?」で那由多くんが里塚の方をしっかりと振り返って目を合わせるの、すごくよかった。あの出会いと覚醒は偶然のことで意図していなくて、那由多くんが望んでもいないことだったのに、目を閉じたままでいさせなかった張本人たる那由多くんがそう問いかけることで、共犯者の色を帯びるというか。別にそうではないのに、目を開かせたかったみたいなニュアンスになること、その表現が成立することが重ねてきた信頼だなあと思う。那由多くんにとって事後的な判断としてそれがよかったことだったから、里塚に向かってそう言えるのだと、思う。ほんとに思いっきり振り返ってはっきりと見つめていたの、よかったな……。

私は、BURN IT UPを初めて聴いた時から革命歌じゃん!と言っているし、バンドが進む中での革命の歌はFreestyleだろうと思うけど、REVOLUTIONははじまりの歌という意味で、やっぱり「革命」だねえ……蓮くんを突き動かしたのもこの歌なわけで。

深幸加入編

ここのブロックのつくりかたが現在と過去の1つのパッケージとして1番好きだったかもしれません。覚悟を思い出す過程を音が彩っていて、美しかった……。

那由多に惚れたから来たんだとはじめっから言えばいいのに、モテを語ることが「かっこつけになると思っている」し「かっこつける必要があると思っている」の、深幸をそう思うに至らしめた様々なことを思ってきゅっとしてしまうのですが(深幸さんは総合点の人なので(?)モテが嘘って言いたいわけじゃなくて、那由多に惚れたの隠さなくていいよねーていう、個人的な感想)、それを加味しても「めちゃくちゃ調子のいいかなり変なやつ」であるのはそうだな、という再確認ができたのは舞台になったからでしたね(?)

礼音と那由多が、仲が良いわけではないけど一緒に過ごした時間でちゃんと「できあがってきてる」ことが新参の深幸の存在によって際立っていてかわいらしかった。出て行こうとする那由多を礼音が止めたり、「全員位置につけ」「だったら早く言えよ!」の間を省きまくった会話をしながら礼音が界川さんにフォロー入れないのとか……。対等な関係ではないけど、一方で所詮同い年の男の子で同級生で、そういう関係の質感みたいなのもあるよなあと実感した。そういえば深幸が最初の演奏した後の沈黙で、礼音が深幸とちょっと目を合わせてから口を開く回があったような気がしてかわいかった。なかったかもしれない(すみません)。

礼音が深幸に気遣ってて、懐き始めて、深幸はまだ涼にちょっと引いてて礼音は慣れてる……という3人のバランスがこの頃って感じでよかった。今は深幸と涼がかなりマブだもんね(マブ?)。呼び名変えるところもやめないでくださいね!もかわいいんだけど、深幸さんを「気にすることないですよ」って励ました礼音がそのあと怒涛の勢いで愚痴りだすのが、あ~甘えてるな~て感じで、深幸のお兄さんの顔の「よくあるんだ?」含め、私の思っていたこの2人という感じで嬉しくなりました。よくあるんだ?の裏で色々考えてんだろうな~という感じの演技……よかった……。

Dawnの力強いドラムが覚悟の説得力を担保するの、贅沢なエンタメすぎて気が遠くなる。以前秋谷さんと橋本さんだったかな?が、ライブパフォーマンスについて、演奏技術はどうしても自分のものだから、100%演技にすることはできない、キャラが隣にいて一緒に作ってる、みたいなお話をされてたのが印象的で覚えていた(結構前なので、今はまた違うかもと思います)のだけど、舞台作品の演出のひとつに演奏を使って、芝居の中でも音は本物だから説得力が上がるというのは反対側からの発想というか。

ナビステは元々ドラム多用舞台で前回もぶっちぎりでドラムの2人が演奏で忙しそうと思ったけれど、今回の担当部分の深幸、台詞交えつつのソロが他の子よりめちゃくちゃ多くて、そこにあるリソースを有効活用することをとにかく大事にするARGONAVIS!!と思って胸が熱くなりましたね。で台詞の方もすごいよかったし……。

余談ですが、涼さんの宇宙系発言から逃げる礼音くん、初日にお立ち台の裏にうずくまって隠れるのと(避難訓練?)、東京楽日マチネで機材の裏に逃げて横から上からひょこっと顔出すのがかわいかったです。

摩周に話をする礼音

礼音くんて摩周さんに話を聞いてもらったりするんですか!?マネージャー(社長)そういう距離感なんですか!?という、衝撃……大人に話を聞いてもらう礼音、いいな~素直だ……。

改めて思ったのは、礼音と那由多、2人とも手が出るタイプなんですね。礼音くん、ひとりっ子だし喧嘩のしかたも知らなそうなのにな……小学生の時悪ガキ殴ってこらしめたりしてたのかしら(「正義感」の話)。

那由多のあの様子は美園がどうとか本人の気質がどうってより「地雷だったからキレてる」ので、礼音がどう思うかは別として納得感が強いのだけど、だからこそ、里塚の厳しさがより見ていて刺さりました。多分原作より強めの印象になってるよね……?さらりと手土産を提案して、弱音を吐いた礼音にほぼ怒鳴る勢いでできなきゃ困るのだと言い、煽って後に引けなくさせるの、怖いよ~演奏の至らなさでなくコミュニケーション上の不幸な事故で引き起こされた事態でこれなのがさ。それが那由多と、GYROAXIAでやっていくということで、現実なので、悪いと言いたいわけじゃないがシンプルに怖いな~となった。厳しい先輩。那由多にも同じやり方するけどなんで里塚って(摩周も……)息するように挑発で人をコントロールしようとするんですかね……理解したうえで乗っちゃうやつしか周りにいないからでしょうが……。

里塚に詰められて挑発に乗って1人で追い込まれてる礼音を見て(何度も!って叫びながらギター弾く独白のシーン、めちゃくちゃよかったですね)、なんというか、この子ははじめからメンタルフィジカル桁外れのGYROAXIAのメンバーとして完全に適格だったわけではなく、元々資質はあったにせよこの時のことが通過儀礼のようなもので、この努力によって普通のギター小僧から一皮剥けたんだな~ということが伝わる演出になっていたなと思います。この時のがそれまでで最も大きな「そんなのできっこないけどやるしかない」で、これを乗り越えたことがその後の礎になっているのだろうと感じさせられるシーンだった。多分怒鳴る里塚が怖すぎてそう思った、私は。

そして、これは原作でも1番好きなシーンだけど、乗り越えるきっかけに仲間からの素朴な「好き」という肯定がある、そういう人間らしさと共に描かれる礼音のことが、好きって言ってあげられる涼くんが、GYROAXIAが那由多のことだけじゃなくてお互いにもそういう気持ちが芽生えるようなバンドになってきていることが、本当に愛おしく思います。思っていたのの何倍も、涼くんの好きだよが優しくて、そういう肯定を必要とする礼音くんの(当然の)弱さが、それで立ち上がれる強さが、まっすぐで素敵。まあ里塚と3人で話した時の涼くん、完全に里塚の共犯者(?)て感じだったし、いいように飴と鞭されてる感じもありますが。

ちなみにこの一連の流れで、「深幸はまだ自分のことで手一杯でフォローできなかった(したい気持ちはあった)」「礼音もそれをわかっている」のが生々しい距離で好きなんだけれど、特に描写なかったけどマジでずっと深幸がいないから不在からそれを感じられてよかったです。舞台だとなんか、「いないなー」ってより強く思うから……。

で、ライブシーンがExistenceなのが、何よりもよかった……!特定のシチュエーションやキャラを想定してない、普通の那由多の歌が、言葉が、礼音にそのままマッチするというのが、ものすごく私の好きな礼音と那由多の概念で。生き方の部分を「同じイメソンで表現できる」ところというか、双子というか(双子ではない)……。昨年の舞台で那由多がアカペラでGET MYSELFを歌っていて、選曲理由は「あの時期で完成しててもおかしくなくて、折角なので舞台のセトリにない曲を」ということだったらしいけど、それにしてもあそこまで礼音っぽい礼音楽曲スト曲を、那由多でああいう使い方してあそこまではまるのが、すごくいいな~と思ってて、それに近いぐっとくるところがありました。

「自分自身が信じ続ける限りその灯は消えない」を信じ抜けなかったことについて、ディスフェスの会場で那由多は結人を詰ったのだと思っているのだけど、礼音はそれを本能的に分かっているようなところがある、それが那由多と礼音が近くにいられる理由なんだろうなあと思います。だって、諦められないんだからさ(※涼)ということ。

兄弟

私の注意力集中力の限界がどうもこのシーンのあたりでくるようで、3日目までうまく内容を飲み込めてなかったんだけど、飲み込めた瞬間ひっくりかえってしまった。

確固たる覚悟を決めなければいけないと思っている弟に対して、里塚はどういう気持ちで自分の揺らぎを語ったのだろう、ということを考えていて。計算ずくで発破をかけたのかもしれない、まっすぐな視野の狭さに苛立ちに近いものを覚えたのかもしれない、とか色々考えたんだけど、見た時の印象を大切にするなら、あれはお互いに結構自然体だったのかなあと思っています。

航海の話を聴いて我が身を振り返った里塚が、素直な今の気持ちとして弱さを晒して相手の背中を押す、これを年下の肉親相手にできるのは、潔くてかっこいいなあと思う。し、航海がそういうどつぼにはまる性格なのを感覚的に理解してるんだなーって感じ……。で、航海は割とそのまま兄の言葉を受け取って、かなりそのまま自分の覚悟に変えてメンバーに話をしているんだよね。いい兄でいようとする賢汰と拗れた気持ちのある航海、から一歩進んで、大人になって対等に近付けた兄弟という感じがして、よかった。お互いに自分の人生に出会って精神的に自立して積み重ねてきたものなんだろうな。そもそもが、なんだかんだとても仲の良い兄弟だと思うので、このままより良い関係になれるといいな、なれそうだな、と思う素敵なシーンでした。

那由多と賢汰

すごかったですね~~~~……(感嘆)

目醒めの王者の読みが浅かったことがバレるなそろそろって感じなんだけど、感情と関係をすごくきちんと解釈して構築してるんだろうな……という気持ちになりました。ああそういうことだったのか~になったというか。

歌えるのか、と聞いてしまった里塚に「俺を疑うなら、お前がここにいる必要はねえ」と那由多が言うシーン、原作だと静かな激昂、拒絶、の描写が強かったけど、肉声でこの台詞を聴くと、人間の身体が帯びる柔らかさゆえか、背を向けてその言葉を絞り出す那由多くんを見て、文字で読む以上に「期待して・信じていたのに悲しい・残念」みたいなニュアンスも感じたんですよね。わからないけど。より正確に言うなら、その裏返しに「俺の歌を信じることがお前の存在意義だろう」があることをひしひしと感じる演技だった。この出来事のあとの那由多くんがそう確信しているのはよくわかるのだけど(それがWITHOUT MEでもあるんだと思うし)、自分を見つけた里塚に、バンドを捨てて自分を選ぶと言った里塚に、この頃からそういう期待があったんだ……という衝撃。というか、とにかくそう言ってくれる人を、安心して歌える場所をずっと探していたんだろうな、この小さい那由多は……と思い、たまらなくなった。

そして、そういう湿っぽさを帯びた後の「今まで以上に、だ!」と、それにはっとする那由多、よかったな、よかったね、那由多……(誰?)。原作でさらっと流れてるけど舞台で声を張り上げる・怒鳴る言い方になってる里塚の台詞が印象的なシーンが多かったなと思っているのだけど、この場面の重みのひとつをここに置くのもすごいよかった。ここでちゃんと風向きが変わって、感情の導線ができるというか。

那由多くんは、「馬鹿な男だ」に率直に色気がありすぎてどうしようかと思った(率直)。こういう色の乗せ方、本当に上手だよね、小笠原さん……。原作になかった「里塚……」もよかったです。2人の人間の、利害の一致が利害の一致のあまり人生かけた信頼になって、その中にちゃんと、情があるんだな、というのを、特に那由多の方から強く確信できてぐっときた……。二次元のこういう関係って結構「情」を毛嫌いするというか、そういうのじゃないから崇高みたいな信仰があるという偏見が私にあって(偏見です)、那由多がああいうキャラなので最初はこの2人もそうなんだと思ってたけど、全然そんなことないな!人間だな!と気付いてから楽しいので、確信できてよかった。

礼音くんが、涼さんのためじゃなくて自分のために頑張るけど、結果的に涼さんのためにもなるかも、という場面があったけど、なんか那由多も、結果的に里塚のためにもなるかも、ということの理解くらいはしてるのかもしれないな……と思いました。

「那由多は約束を守った。俺も必ず……。」の里塚もよくて。音楽を産み出すこと、世界に連れて行くこと、が少なくとも里塚の世界認識ではお互いにとって「約束」なんだなあ。なんかそういう、未来を眼差した誓いの介在する関係なんだなあ、それだけが絆の形とは思わないけど、でもやっぱりそれって絆だよね。

BLACK&WHITE

物語と楽曲の思わぬマッチングを目の当たりにすると嬉しくなってしまうんだけど、タイアップのブラホワが舞台の見せ場できて、歌詞がばっちりはまっていてめちゃくちゃ感動しました……。すごい。どこまで計算?自分に嘘をつかずに、譲れないものを掴み取るために……。

この2人の覚悟は「音楽に全てを捧げる」で、究極的にはいつもこの2人はその話しかしてない(だぶえすの終盤など)、蓮くんが結局それしかないことを那由多くんが本人よりわかってて、蓮くんが気付くまで、待ってるわけじゃないけど時に導いて、蓮くんが自分で気付いて追い付いてきた時に那由多くんが満足する(満足はしてない)、みたいな図、私がアルゴナビスを好きな所以だな~と思います。そういう一貫性、好きだ。初めて蓮くんに出会った頃にめちゃくちゃになってた那由多くんがそうやって構えられるようになったのも、蓮くんが堂々と並べるようになったのも、ライバルになれたんだなあって感じで嬉しい。

「一緒に歌え」かわいかったですね。急に幼稚園になったのかと思った。舞台上とは思えないガチダッシュで駆けつける蓮くんといいなんだかへんてこなシーンでしたが、このへんてこと、勢いのいい熱さと、じわじわと追いつめてくるような群像劇と、それでもちゃんとさわやかなところのバランス感覚も、アルゴナビスだなあと思っています。

Argonavisの話

まとめてになるけど、Argonavisさんって本当にいつも合意形成と意思決定ばっかりしてて最高!本当に変な主人公だ。GYROAXIAと対比して性格が丸くて仲が良いバンド……と見せかけて(それも事実なんだけど)、那由多と道を違えた結人の思想が、抱えたものがバラバラすぎる突き抜けた5人がバンドをする上でうまくはまっている、それぞれのエゴが強すぎるがゆえの「みんなで話し合って決める」というアイデンティティで、ぱっと見た印象よりもそれはずっと重い信念なんだよな、ということが、多すぎる話し合いとすれ違いの描写によって見て取れて、私はArgonavisが話し合いをしているたびに嬉しくなります。「みんなで話し合って決める」は、単に仲良しとか優しいそういうことではなくて、ひとつになれないけどやっていくための、孤独だったそれぞれにとってそういう居場所でお互いがあるための、またひとつの覚悟なのだ、と……。GYROAXIAはまあみんな那由多が大好きっていう集団なので(雑)(このへんが衣装の話ともつながる)。「心がひとつかどうか」みたいなところが表面的な印象と逆なのが面白いし、心がひとつじゃなくても心がひとつになれるというArgonavisさんの実践、本当に大好きです。

応援してくれていた人の昔の仲間がやってる小さい会社で一緒に夢を追いかけるArgonavisと、自分たちを見出して叩き上げた元マネージャーの元に戻るGYROAXIA、思ったより構図が熱めという感じだった。いいな。古澤さん、よかったな~~。ああいう役者さんとああいうキャラクターが映える作品だな、と思うし、古澤さんがいることで2.5次元っぽさからアルゴナビスの物語らしい群像劇っぽい方に印象が振れたのも、よかったと思う!あと書きそびれていたのでついでにここで書きますが、中学生の結人の不安定さとかわいさがとてもよかったので、役者さんってすごいなと思いました。年齢2倍どころじゃないのに……。

「大丈夫だよ」の件

一時ツイッター上で局地的な混乱になっていた前座ライブ前の深幸と礼音の練習シーン。原作からしてとても好きなところなんですが、深幸の台詞の細かい部分が原作と変わっていて、それがすごくいい深幸の解釈だな……と思ったので書きます。

ひとつは、細かい言い回しは忘れてしまったんだけど、「那由多に勝とうとしてきたんじゃないのか?」が「那由多に勝とうと頑張ってきたんじゃないのか?」みたいな、「頑張る」という言葉が入っていて。那由多が結構繰り返し、頑張っていることを評価されようとすんな、みたいなことを言っている作品の中で敢えて「頑張る」という言葉が足されるの、まあ音の響きとかもあると思うけど、深幸と礼音を表しているなと。もちろん2人とも求められているのは結果だとわかっていて、頑張りを評価されたいとも思ってなくて、ただ、その先にしか結果がないとわかっていて大事にしている2人の間での共通言語で、姿勢そのものへの深幸からの敬意なんだよね、と思います。

もうひとつが、その台詞を言った後、深幸がすれ違いざまに礼音の肩を叩きながら、優しく、でも確信めいた感じで「大丈夫だよ」って言うんだよね……。そうなんだ!?って思った(そうなんだとは)。なんか、作ってる方も、深幸が優しいことも、この2人がそういうところでつながってることも、わかってるんだなって、そうじゃなきゃ出ない言葉すぎて感動してしまった、そりゃわかってるに決まってるんだけど、それで合ってたんだなあ、という……。舞台の終わりに向けて熱が高まる流れの中に、深幸のああいう優しさと信頼があること、美しい。

そうやって吐き出して話し合って励まされて、そうして、勝手なことしたら怒られるかなって、いたずらっ子みたいなこと言い出す礼音が、好戦的に笑う2人が、大好きだな~!と改めて思いました。いいお芝居でした。

GYROAXIAの覚悟の話

メジャーデビューを前にした現在のGYROAXIAの覚悟、那由多を世界に連れて行くこと、GYROAXIAのドラムを誰にも譲らないこと、那由多に勝つこと、そのどれもを、結成譚である目醒めの王者を引用して重ね合わせることで語ることができる=みんなずっと変わらずそれだけを追いかけている、というのが、極めてGYROAXIAだな……と思います。一貫性がありすぎる。

語られた中で那由多くんだけが今も昔も怒りや憎しみを原動力としていて、これが映画への布石なんだろうなあ。音楽に全てを捧げる覚悟、が「あいつがやったんだから俺もやれる」じゃなくて、那由多くん自身のものになる、もしくはもう少しうまい形で内面化できる日が来るのかな、その時にもう一度これがGYROAXIAだと叫んでほしいし、蓮くんの隣に立てるといいよね、と安直に願ってしまいます。だって歌は無理だと言われた怒りで歌い続けられるくらい、無理だと言われたことがそんなに嫌なくらい、歌いたかったんだろう……。

最後のFreestyleについて。ツアー中は、全体のコンセプト的にも最近のパフォーマンス的にもここまで情感のある歌だったことはなかったと記憶しているのだけど、置き場所が変わるとこんなに変わるのか!という衝撃。めらめらと燃えていて、悲痛で、だけどちゃんと覚悟になっている。ちょっと過剰なくらいがこの舞台の中にあるにはいいよねえ。小笠原さんにこの表現の引き出しがあることが、好きだなあ……と改めて思っていました。あと、武器が欲しいと里塚が那由多に頼んだ時の「これぞジャイロアクシア、これぞ旭那由多」という言葉が、ラストシーンの那由多の叫びに繋がるの、原作でもぐっとくるけど、舞台になって時間軸が離れたことで、より効果的になっててよかった。旭那由多を世界に見せつけたい里塚と、自己の存在証明を続けたい那由多が、今日も嚙み合っているのだな。と。

 

早いもので明日(明日!)はついに映画の公開日ですね。完全新作の映像のアルゴナビス、アニメでいっぱい出てくるGYROAXIA、知らないものすぎてちょっとどうしたらいいかわからないですが、とても楽しみです。