光のなんたるかを(クリスマスにて)

だいたいいつも、私が何か書くのは考えた時ですが、覚えておきたい景色について想った時に何度も浮かんでくるものがあるので、当時の自分のSNSから言葉を借りて書いておこうと思います。フォローいただいている方は見覚えがある話かと思いますが……。

2023年12月9日、新横浜storageでの「秋谷啓斗の喫茶秋谷 先どりクリスマス会」第2部に参加してきました。1部に参加した友人達から続々と椅子が狭いという連絡が来て戦々恐々としていたところ本当に狭かったですが、「嫌な気持ちにならないアットホーム」という感じで、とても楽しかったです。(小さいライブハウスに椅子を並べた時狭いのはよくあるので別に当て擦っているわけではなく、それにしても本当に狭くてウケたなという趣旨です)

曲などのディティールを全く覚えていないので私が受け取った感覚だけを追って書きますが、セッションのパートが本当に良かった……。小笠原さんが歌って秋谷さんがピアノを弾いて、秋谷さんが歌って小笠原さんがピアノを弾いて、2人で歌って。小笠原さんの歌と秋谷さんのピアノは当然精緻で充実していてとてもすばらしいのですが、更に逆が、稀に見る幸せな演奏で……。

誤解を恐れずに書きますが、小笠原さんのピアノは小笠原さんの歌や秋谷さんのピアノと比べたら拙いものだし、秋谷さんの歌にも本当に初心者のそれほどではないにしろ、近いことがいえると思います。お二人の歌とピアノがあまりにもお上手であるという話で、他意はないです……。その上で、いつも通りの担当パートの隙のない演奏と比べたら拙く感じられる2人の演奏を、軽んじることも冷ややかになることもなく、かといって思考停止して盲目的な評価をするわけでもなく、ただそこに確かにある大事なものをあたたかくまなざす空気に満ちたあの日の会場が、あるところにはあるのかもしれないけど私にとっては貴重で、素敵な経験になりました。

これから練習して、上手になって、色々な表現ができるようになりたいという前向きな気持ちを、やらされるのではなく自発的に持って、リスペクトと実力のある仲間と互いに教えあって、その中で今できる全力を、客席のために、あるいは相手のために丁寧に真摯に見せてくださる姿に胸をうたれました。大事な宝物を見せてもらった、という気分で、未だどこか手探りのそれにそう思えるのはひとえにお二人が真剣だからなのだと思います、ずっと陳腐な言葉ばかり綴っていますが……。

成長を応援することや過渡期のエモさみたいな話かというとそういうわけでもなくて、当日小笠原さんはしきりにもっと秋谷さんが歌う機会が増えてほしいといったお話をされていて、それは私なりにとてもよくわかるなと聴いて思いました。とても律儀で、正直で、丁寧で、音楽に裏付けられた、磨かれてこなれてきた時にどうなっているのかとても興味を惹かれる、豊かな気持ちになる魅力的な歌でした。聴くことができてよかったし、そうなった時に伴奏ができる小笠原さんでよかったとも思った。

未熟と呼べるもの(お二人があの場を「本番」として練習を重ね披露されたことを、軽んじる意味合いではなく……もちろんあれは、その点で「完成」ではあるはず)に対して、その成長を見守りたい的な欲求や期待を抜きにして、その人がすることならなんでも嬉しいという情動に近いものも抜きにして、ただ素直に「素敵だ、魅力的だ」と思って、同時に、それが新しい表現の芽生え、一歩目であり、また前向きな真摯さのあらわれであることそのものに光を見出し、こんなに、「いいものを見た」という気持ちになれるんだ……ということが、それそのものもまた、私が生きていく上での、世界と、あと私自身の情緒の広がりに対しての、希望になる発見だなあと思いました。

本当に細かいことは何も覚えていないのですが、気持ちだけずっと覚えていて、どうしても残しておきたくてあまりしない種類の言葉の重ね方をしました。ファンレターを書く時にはしているかもしれない……。これからも長くお二人が近くにいて、時々この日のような演奏を聴かせてくださったら嬉しいな、と思っています。